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【高級志向】その”高級体験”はただの浪費に過ぎない:高級食/高級旅館etc

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はい。みんなお疲れ。
Amiです。
高級な体験について気になって朝も起きれない夜も眠れない読者に向けて。
本記事を通じて理解できることは下記。

高級な体験の意味と価値について

本記事もいつも通り俺の実体験をもとに紹介していく。

Ami

・ファッション/イラスト・アート/サウナをこよなく愛するサラリーマン
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今日は”高級”っていうテーマで話をしていくよ〜〜〜〜〜〜〜〜

2025年1月20日。
今日は、”高級”というテーマで話を展開していく。

高級ってなんかいい響きだよな。
高級ってついていればもうそれはそれは極上の体験ができそうな感じが漂ってくる。
高級料亭、高級ホテル、高級品、高級腕時計など。

今回は1サラリーマンが感じた、高級という言葉と体験について紹介していくよ。
これを読めばあなたもお金持ちになれます!とかそういう記事じゃないから悪しからず。

目次

俺の今日の結論はこれ。
高級な体験は、たまーーーーーーーーにでいい。なんなら体験しなくても全然幸せだなと思う。

まず前提、俺は普通の企業に勤めるサラリーマンだ。
給料も普通水準で、大金持ちでもなんでもない。
ただの庶民だ。
きっとこのブログを読んでいる人も多くは庶民だと思う。
つまり立場的にはみんなと俺は同じ。

立場が同じだから分かってもらえると思うけど、高級な体験ってあくまでも非日常であって、毎日できる体験じゃない。
金もないし、高級な体験なんてたまにしかできない。

高級温泉に毎週行ってますなんて人はこのブログを読む必要はないからぜひ温泉を楽しんでほしい。

俺ら庶民は普段の生活が淡々と続くだけだ。
だからこそ、”高級”という甘美な言葉に惑わされて、金をたくさん使おうとしてしまう。
それじゃあ金が足りるわけない。

むしろ、そんな非日常に幸せを求めるのではなくて、日常の些細な出来事に幸せを感じられるようになった方が断然いい。
今日はコーヒーがうまいな。とか、晴れてて運動が気持ちいいな。とかで全然OK。

何かお祝い事とか、誰かのためを思っての高級体験はまだプレゼントとして価値があると思うけど、なんでもかんでも脳死で高級な方を選んでても幸せとは限らないって話。

庶民は等身大の幸せを見つめた方がいいよって話をした。
俺自身も、社会人なりたての頃には色々な高級に手を出してきた。

高級食(寿司、フレンチ、焼肉)、ハイブランドの服、バッグ、高級宿、高級温泉などなど。

社会人1年目、2年目の時期にしてはかなり贅沢な使い方をしていたと思う。
で、これらをやってみての感想は、結局は高級体験はただの浪費だなって感じ。

よく巷では、”成功したいなら若いうちに高いものを知っておく必要がある!”とか、”一流のサービスや味を知っておくべき!”とかいうインフルエンサーがいるけど、これらの意見には耳を傾ける必要はない。

別に高級な体験を知る必要はない。
というか知ったところで別に人生が劇的に変わるとは俺は全く思えない。


むしろ逆で、若いうちに高級という甘見さと栄を知ってしまったが故に”高級志向”にズブズブと落ちていく可能性だってある。
”高級体験”とは、つまり”浪費”でしかない。
浪費って言葉だとイメージが悪いから、”体験を通じた自分の価値の向上”とか、いい感じで言葉の皮をかぶっているだけに過ぎない。

何度も言う、高級体験は浪費だ。

実際に色々と俺も社会人1年目、2年目の時は金を使って色々と経験してきた。
高級寿司、フレンチ、高級ワインとかも飲んでみたし、ハイブランド品も買ったりしてみた。

結論、よく分からん。
そこまで違いを感じられるほどの感受性が俺にはない。

例えば、高級鮨。
1貫1貫目のまえで握ってくれて、すごい手間暇がかかっているお鮨屋さんは割と行った方だと思う。
以前は営業の仕事をしてたから、いいお鮨屋さんに行って接待をすることもあった。

実際に味はどうかと聞かれたら、うまいよ。もちろんすげえうまい。
酒もすすむし、うめえ!って思いながらその時は食っていた。

でも、それだけ。高級鮨はうめえ!以上の体験としての感想はない。
色々ともう大将も説明してくれるのよ。
このブリは10日間一旦寝かして、昆布締めにしてなんちゃらかんちゃらで握ってます。みたいなね。
おお、すげえ時間と手間がかかってるんだな。ってことだけしか分からん。

味?うまい!とにかくうまいよ。
チェーン店と比べたら当然レベルは違う。

ただ、高級鮨はどこもぶっちゃけ同じ。
ある程度のお金を出せば、味の違いはよく分からん。
味の違いを認識できるほどそもそも舌が肥えてない。

高級温泉や宿も然り。
1泊でかなりの値段がかかる温泉宿に泊まったこともあるけど、ぶっちゃけある程度値段を払えばどこも一緒。
温泉は綺麗だし広いし景色は最高。
旅館の飯はとりあえずうまい。

けど、それ以上の感想はない。
どこもぶっちゃけ同じに感じてしまう。

なので、高級体験を通じた結論として、よく分からん。って感じ。

てな感じで、高級体験について俺の持論を述べてきた。
これらの高級体験を通じて気づいたのは、等身大の幸せを認識することが重要だなって思った。

最初の結論に戻るけど。
高級な体験は浪費でしかないから、幸せをそこに求めるのは間違っている。
1年365日のうち、高級鮨屋に行ける1日以外が不幸だったらやってられねえよ!!ってことだ。

そう、日常の幸せが何より重要なんだ。(セリフが臭いとか言うな)
普段生活してたら、不安なことの方が何なら多い。
今日のプレゼンは上手くいくかな、、、得意先にどうやって謝りに行こう、、、将来が漠然と不安だな、、とかね。

そんな不安定な世界で生きてるんだから、ごまかしの高級体験で自分を大きく見せようとしない方がいい。
グラグラと揺れる橋でカッコつけて高級な毛皮のコートなんて身に纏ってたら落ちて死ぬぞって話。
橋の先にこそ幸せがあるし、見栄を張る必要なんてどこにもないんだ。

ストレスを感じている生活での高級体験は、浪費というか現実逃避とも言えるかもしれない。
日常の些細な部分に目を向けてしまうと、小さなストレス、タスクを解消しなくてはならない。
その現実から目を背けたくて、高級体験という幻と一時の快楽に溺れて忘れようとする。
けど結局はそれも幻影でしかないから、待ち受けているのは深い谷底だ。

普段の生活に目を向けてストレスに対応して小さい幸せを探す方が、自分にとっていい人生になると思っている。

てな感じで色々書いてきたけど、高級体験そのものを否定しているわけではない。
俺は自己投資、価値向上と言い訳の皮をかぶった浪費と、現実逃避としての高級体験は否定する。
しかし、贈り物としての高級体験は大いにありだと思う。

高級な体験は、誰かに贈ってこそ価値を発揮するものだと俺は実感した。
というか、高級な体験に問わず、すべての物事は贈った方が幸せになれるんじゃないかと思っている。

きっとみんなも、誰かを想って贈り物をしたことがあるだろう。
結果、どうだっただろう?
その時のことを思い返してほしい。

どうだろう。

思い返すのはその時喜んでくれた相手の顔ではないだろうか。

そう、贈り物がどうなったとかはどうでもいいはずだ。
贈った相手が喜んだ。その事実だけが自分にとって何よりの宝だろうし、思い出になっているはずだ。

贈り物はもらった方ももちろんだけど、贈った方はもっと嬉しいし幸せなんだ。

相手を喜ばせたり、誰かを幸せにするということが、人間にとって変わらない本質なのだ。
色々な本で書いてあるけど、まさにその通りだと思う。

この理論で言うと、サンタクロースは地球上で最も幸せな人間なのだろうか。
てな感じで、高級な体験もまた、自分ではない大切な誰かに贈ってみてはどうだろう。

お金を払う分、相手の喜んだ顔が鮮明に記憶に残ることだろうと思う。

てなわけで、今日は高級という言葉について色々と持論を述べてった。

今日おれは肉野菜いためを食った。
スーパーで30%引きの肉を使って作った料理は、高級フルコース入りしてもいい一品となった。

これからも高級食材を求める俺の旅は続く。

てな感じで以上。
ではまた別記事で。




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