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【ファッション・価値観】服好きにとって必要な孤独とは?他人の目を気にする服装のつまらなさ

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Ami

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ファッションが楽しいって何なのか

2026年8月3日。
週末の天気から一変して非常に涼しい気温になったな。
この状態が8月ずっと続けばいいのになー。

というわけで今日もファッション関連の話をしていこうと思う。
少しでも参考になれば幸い。

目次

俺は15歳からファッションに目覚めて、31歳になる現在でもファッションが好きだ。
そんな俺が、ファッションを楽しめていなかった時期がある。
それが20代中盤あたりの数年間だ。

この時期は、明確に他人を意識したファッションをしすぎていた節がある。
理由としては、とにかく遊び盛りだったからというのが挙げられる。
週末はオールナイトクラブパーティ三昧みたいな生活をしていたせいで、とにかく自分をよく見せるための服装に特化しがちだった。
この時はこの時の遊び方として楽しい思い出があるから後悔はしていないんだけど、ファッションを楽しむという観点ではめちゃくちゃマイナスだったなーと思う。
あくまで自分が好きなファッションをしているつもりでも、かなり異性を意識したような服装になっていたなーと振り返ってみて思う。

ファッションとはライフスタイル込みで形成されるものだから、目線が外に向いているうちはやっぱり服装も外を意識した格好になっていくんだなと、今になって思ったりする。
この時のファッションはあまり面白味がなかったなーと振り返ってみて思う。

で、遊ぶのにも落ちついて彼女もできた20代後半から30代にかけて、より自分の素直な感情に向き合う機会が多くなった。
いってしまうと、より内省をするようになったと言える。

理由としては、20代中盤でハジけまくって遊んだせいで、遊び自体に飽きたという事もあるし、彼女という大切な人と出会えたことも理由として挙げられる。

自分が過ごしてきた虚無な時間を反省し、その有り余った時間で自己内省をしまくった。
いい時間の過ごし方は何か、自分が心地よいと思えるものは何か、好きなものは何か、といったことを向き合った結果、やっぱり俺はモードファッションがベースなんだなという点に立ち返った。

18歳から22歳にかけてハマっていたモード系ファッション。
この時の服が一番楽しかったし、俺が最も服をみていてワクワクしていた時代だ。
サンローランを筆頭とする細身のスタイルをベースに、クリスチャンダダ、ドレスドアンドレスド、サリバンといったドメブラや、ギャルソンブラック、マルジェラ、ラングといった服装がとにかく楽しかった。

マジでこの時の感動というか、ワクワクは今でも覚えているし、ここ最近自分が好きなのはモードなんだなと改めて自分の感覚を信じられている。
ここ最近買ったリックのジオバスとかもマジで買ってよかった。何気に初リック。超いい。
自己内省をした結果で溢れ出す好きというものは、本当に心から求めているものなんだなーと思ったりする。

そもそも、ファッションというものは自己探求の1つだと思う。
ある種、自己満足と言ってもいい。他者への理解を求める時点で、それはどこかしらに不純物が混ざっている状態とも言える。
他人に認められたいから、これを着る、これを買うって段階は、学生とかに多いかもしれないけど、それって結局は着なくなることがほとんどなんだよな。
自分がどんなものが好きで、どんな価値観を持っているか、そう言ったものの中の枝葉にファッション・服装のスタイルというものがあるだけで、自分の幹が見つかっていない人はいくら枝葉を求めても薄っぺらく見えるし、それに自分自身も気づいているのよな。
例えば、アイテムを知るきっかけがインフルエンサーとか、youtubeとかならまだ良いと思う。
あくまで知る媒体がどこかってだけで、一回自分のフィルターを通してみているわけだから、インフルエンサーのファッションスタイル真似っことは明らかに違うのがわかる。

流行っているからこれを着る、インフルエンサーのあの人が着てるからこの服を買う、とかは良くない。

こういった気持ちを持っている時点で、自己探求から少し外れた道にいってしまう気がする。

俺の場合もこう言った感情は持っていて、大学生の頃は古着にハマっていた時代もあって、当時交際していた相手からはとにかく不評だった。
今では黙れよって思うんだけど、俺にとってファッションは、交際相手に合わせたり、交際相手の理想になるためのものではない。
俺が俺になっていくために必要なのがファッションであり、それ以外の何者でもないのだ。

他の記事でも書いている通り、服好きはある意味変態だと思う。
いい意味でオタクの気質があるんだと思う。

ただ、その変態性こそが孤独を加速させる側面もあるし、それが自己探求を深める手段であるとも言える。
結局、人はいつまで経ってもどこまで言っても一人で自分自身と対話することが必須だ。

友達100人できるかな、なんて歌があるけど、あんな歌は悲劇以外の何ものでもない。
生きていく上で友達はたくさん必要だと、世間がそう思っていることに疑いも持たず、ただただ、良い顔をすることに躍起になる、表面的な取り繕いがうまくなるだけの嘘っぱちの誤魔化しでしかない。

自分を見つめ直す習慣がある人ほど、孤独が必要だし、無駄に友人を増やしたりしないし、狭く深くの関係が原則であることが多い。
何よりそういう人は、孤独であることを恐れていない。

自分の価値観というのは、自分自身の対話を続けることでしか出てこないし、そう言った孤独を持つ人だからこそファッションを楽しめている側面が大いにあるのだと思う。

孤独であることは、ファッションを楽しむ上で必要なものであり、その孤独を持った人はどこまでも終わりがない道を走っている変態とも言える。

独りでニヤニヤと、今日買った服のこのディティールがいいわーとか言っている時点で、十分な変態だし、それを誇りに思っていいと思う。
俺も自分のこの変態性が好きだし、これが俺だと思っている。

以上、ではまた別記事で。




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